【命を守るプロジェクト】
(山岳救助事故に対応する取り組みについて)
     
           八代広域行政事務組合消防本部(熊本県)
          鏡消防署泉分署消防1係長 小 野 康 成
 1 はじめに 
 当消防本部が管轄する八代市泉町は、熊本県の南東側に位置し、八代市全体の面積680kuの約4割を占める山域である。また、泉町の東部にあたる山深い所には五家荘地区があり、人口357人(平成25年3月末現在)の住民が逞しく暮らす生活圏である。
この五家荘の山域は、九州中央山地国定公園に指定され、北は下益城郡美里町と上益城郡山都町・東は宮崎県椎葉村と球磨郡水上村・南は球磨郡五木村と八代市東陽町と接し、風光明媚な「せんだん轟の滝」や「梅の木轟の滝」「樅木の吊橋」などの観光名所があり、1185年の「壇ノ浦の戦い」で源氏に敗れた平氏一族が落ちのび隠棲した伝説、歴史、ロマンに彩られた「秘境・五家荘」として、全国にその名を知られている。
秋は九州圏内屈指の紅葉スポットとして有名であり、四季折々の希少な植物や樹齢数百年の巨木と出会える山域として、多くの登山者の人気を集めている。
そして、昨今、全国的にも登山者の遭難事故等が相次いでいることから、その対策として当該山域においても、迅速な人命救助活動の遂行が要求されるようになった。

 2 五家荘の山の概要 
 九州中央山地の五家荘の山は、熊本県と宮崎県にまたがる主峰国見岳1739mを筆頭に、1000mから1700m級の急峻な山が連なり、県境に接する峰々は、日本三大急流のひとつ球磨川や日本一の清流と呼ばれる川辺川水系の分水嶺を形成している。
登山対象となる山々は30座を擁し、九州百名山にもその名を10座連ねている。平成23年11月には全国で6番目、九州では初めての日本山岳遺産に認定され、近年の登山ブームも手伝い、登山者の急増が著しい現状である。
 本年2月には、希少植物の「福寿草」を鑑賞目的に、九州一円から1週間に約500名近い登山者が五家荘の一部の山域に訪れ、最近では海外からの登山者もたびたび見られている。
山域外周の登山道は約50kmで、それとは別に各山頂に到る登山道(ルート)が幾重もあり、すべての登山ルートの距離を合わせれば、約100qにおよんでいる。
これらの山の中には、比較的楽な「ファミリー登山」や「トレッキング感覚」で登れる山とルートもあるが、その多くはスズダケが濃く茂り、大きな倒木類が遮るアップダウンの激しい狭隘なルートであり、石灰岩が隆起して群がる岩場やガレ場、又は急斜面を横切るトラバース箇所など、ひとつ間違えば命を落としかねない危険が数多く潜在している。
最近は、登山者による大きな事故は無いが、過去には数件の行方不明者が発生しており、その内2名は、数日間の救助捜索活動にもかかわらず、現在に至るまで発見されていない。 

 3 山岳事故の覚知について
 登山者は、単独や数人の仲間又は10数名を超える団体と様々であるが、登山者の大半が現職を退かれた高齢者であり、女性も多く見られる傾向である。その中には、過去に脳疾患や心疾患を患った人も少なくはない。
それだけ多くの登山者があれば、事故の発生率も高くなる必然性が生まれ、登山者の事故予防に「自己責任」という言葉が浸透しているが、山中では急激な天候の変化や、突発的な落石などによる「自己責任」の範疇を超える不測の事態も考慮しなければならない。
以前においては、傷病者が発生した場合、傷病者を事故現場に残し、同行者の仲間が下山して救助を求める例がほとんどであった。また、単独の登山者が一夜明けても自宅に帰ってこないと、その家族から消防や警察に通報があり、救助捜索に出場したケースが見られる。
しかし、近年は、深山幽谷と言われる五家荘の山域であっても、携帯電話の普及と通話エリアが広がり、事故現場から直接通報が容易になってきている。
さらに、ベテランの登山者や団体登山のリーダーとなる人は、携帯電話の不通エリアをカバーするため無線機を携行し、緊急の事態に備えていることが多いことから、今後は事故発生と同時に、山中から通報してくるケースが予想される。これらは事故発生を知らせる手段としては最善ではあるが、その反面、通報を受ける当消防本部や警察の通信指令室に、必ずしも当該山域に詳しい署員又は登山経験者がいるとは限らず、通報時、傷病者数や容体等は知ることができても、明確な目標物が皆無に等しい山中では、「稜線」・「迫」・「鞍部」・「出合」などと言った登山者同士では、ごく普通に通用する用語であるが、これら山登り特有の用語と表現は、通報を受ける側にとっては困惑し、事故現場の特定が困難になることが大いに予想される。
それに、不心得な登山者の中には、登山地図やコンパスも所持せず、自ら登り始めた場所や登山ルート名でさえ伝えられない事も懸念しなければならず、消防活動における初動の遅延を招きかねない。
そう言った観点と想定を含め、我々消防は山岳という環境下にも命のレスキューエリアがあることを忘れてはならないし、それらの弊害を改善する対策が必要であると言える。

 4 救助方法について
これまで、当消防本部が出場した当該山域での行方不明者等の救助捜索活動と言えば、覚知と同時に救助隊として消防・警察・消防団が、その山の登山口に集結し、情報を共有しながら捜索ルートを選定して、人海戦術による救助捜索活動がほとんどである。
これは、救助隊への長時間の登山を余儀なくするとともに、要救助者との接触後も長時間の下山を強いられるものであり、救助隊員の体力だけを頼ったものである。
このような救助方法では、生死に関わるケガや疾病の事故発生時においては、長時間を費やし、要救助者にとって著しく身体への負担をかけるものであり、容体の悪化を招き、救える命も落としかねない。
それに、救助隊員とはいえ登山経験のない隊員が山へ入ることは、そこに登山ルートがあってもルート上の分岐を簡単に見逃し、方向を間違え、道に迷えば、救助隊自体が二重遭難又は事故を誘発する危険がある。
特に、五家荘の山中は樹海のような樹林帯が広がり、人の視覚や方向感覚を麻痺させる恐れが大きいことから、救助捜索活動の際には、山を熟知した案内者の同行を必要とするものであった。
しかしながら、事故発生時に必ずしも案内者が同行できるとは限らず、地元の消防団員でさえ、五家荘全域の山を熟知している者が極めて少ない現状であり、登山者の急増に伴う遭難事故等への綿密な対応策が必要に迫られていた。
そうような中、登山者が緊急時に現場位置の明確な情報を発信し、当消防本部や警察が、その緊急情報を受信できる対策を講じられる機会を得た。
それが、五家荘の山域におけるレスキューポイント標識(以下、RP標識と記載)の設置であり、防災消防ヘリによる短時間での救助方法の構築である。
  そこには、「泉・五家荘登山道整備プロジェクト」と言う団体の存在と、貢献的な活動がある。

 5 「泉・五家荘登山道整備プロジェクト」
 日本山岳遺産認定地の五家荘には、平成20年7月に発足された「泉・五家荘登山道整備プロジェクト」(以下、同プロジェクトと記載)と言う団体がある。この団体の目的は、希少植物の保護活動や五家荘山域の登山道を整備することにより、登山者の遭難回避と遭難時の迅速な対応に寄与し、日本山岳遺産に相応しい、安心で安全登山の環境作りに邁進されている。
その事業や活動については、八代市をはじめ五家荘地域振興会・泉町観光協会などが協力・支援している。
  発足から現在まで主な活動は、次のとおりである。
(1)五家荘の山々へ統一した山頂標識の設置。
(2)約100qにおよぶ登山ルートの開拓や整備又は道迷いを防止する道標の設置。
(3)登山ルート上の危険箇所の排除と整備。
  この数年間、当該山域で登山者の事故が無いことは、こうした「同プロジェクト」の真摯な取り組みの成果であると言っても過言ではない。
 これらの安全対策と危険回避に主眼を置いた、「同プロジェクト」の真摯かつ建設的な活動は、登山者にとっても我々消防の立場から見ても非常に心強い、有意義な取り組みであると高く評価できる。
  そして、昨年12月、安全登山を推進する「同プロジェクト」の喫緊の課題であった、登山者の緊急時の対応と手段に係る会議が開かれた。
その会議に、登山を趣味とし、五家荘の山に精通する当消防本部署員の一人が招かれたことを契機に、当該山域へのRP標識の設置が具体化し、「同プロジェクト」と、消防署員が連携を密にした動きが急に加速した。

 6 レスキューポイント標識の設置活動
 これらの事情と経緯をふまえ、熊本県防災消防航空隊と連携した迅速な山岳救助活動の構築に向けて、登山対象となる山々を歩き回り、山中での防災消防ヘリとの連携が可能な救助拠点となる場所の調査を開始した。
その調査チームは、当消防本部署員と「同プロジェクト」のメンバーであり、時々、一般の登山者と当消防本部所属の防災消防ヘリ隊員も加わった。
五家荘の山々の登山口付近は、杉・檜などの植林が多く、中腹から自然林に変わり、山頂周辺は原生林のブナやミズナラの巨木が見られ、各登山ルートの大半が、樹木の隙間から上空を容易に見通せる場所は以外と少ない。
そこで、RP標識の設置場所に適した条件等を予め、次のように取り決めた。(1)上空が最低でも3〜5m程度開け、防災消防ヘリから容易に視認でき、ヘリ  
の隊員が降下して、要救助者を吊り上げ救助可能な場所。
(但し、落石の恐れや崖が迫る谷間又はガレ場等を除く。)
(2)ヘリからの検索で要救助者を発見できなくとも、地上の救助隊員が要救助者と接触し、長時間の地上搬送を必要とせず、吊り上げ救助に移行できる場所。
(3)尾根や支尾根が複雑に入り組んだ地形上に登山ルートを有し、道迷いを著しく誘発する恐れのある分岐箇所。
(4)その他、調査チームが必要と判断した場所。
その結果、この事前調査で185箇所の設置予定場所を特定し、それら
の場所へRP標識の仮設置を本年2月から実施し、7月に設置を完了した。
この設置を仮設置としたのは、当消防本部署員の意向と提案を受け入れら
れた「同プロジェクト」が予算を支出し、恒久的な素材でRP標識を製作されることが決定し、その間の救助事故等に備え、措置を講じたものである。

 7 レスキューポイント標識の仕様
 平成25年9月現在、仮設置した185箇所のRP標識(B5版)は、当消防本部署員の手作りで、山中の自然界に極めて少ない目立つ色の黄色又は水色にしている。
この手作りのRP標識には、標識bフ表示と高性能なGPSで取得した座標(緯度・経度)を明記し、標識bニ取得した座標一覧を「同プロジェクト」及び熊本県防災消防航空隊並びに当消防本部が情報を共有し、事故発生時には、登山者がその標識b通報するだけで、すぐに事故現場を把握し特定できるようにしている。また、この調査で得た携帯電話の通話可能な場所のRP標識には、通話可能の表示をしている。
そして、「同プロジェクト」が製作し本設置となるRP標識は、A4版のポリセームという素材で、約10年間は退色や腐食しない恒久的なRP標識である。このRP標識は、大津市消防局(滋賀県)が管轄する比良山系に設置しているRP標識を模し、表示内容は外国人登山者にも対応できるようにローマ字を併用し、仮設置のRP標識に明記した座標表示を採用している。
それから特筆すべきは、登山者各位に危険回避や安全対策の自己啓発を促す目的で、警察からの要請で携帯電話から自動的に登山届が登録可能な、「QRコード」を施す予定で先進の試みである。
それに、当該山域を管轄する消防本部・消防団・警察署・森林管理署の4機関名を表示される予定であり、本設置と並行して「同プロジェクト」がRP標識マップを作成し、4機関と山岳愛好会に配布される考えである。
さらに、RP標識マップは、五家荘地域振興会のホームページ「五家荘ねっと」に掲載し、登山者各位が必要に応じ印刷できるように対応する考えであり、「同プロジェクト」の安全対策に向けての並々ならぬ姿勢が伺い知れる。
RP標識の本設置は、当消防本部署員と「同プロジェクト」が連携して、平成25年12月8日から開始され、平成26年3月をもって五家荘の登山対象となる山域に157箇所の設置を完了した。
本設置した157箇所と仮設置の185箇所との相違は、プロジェクトの会議で見直しを行い、その結果、157箇所に決定したものである。

 8 終わりに
 この山岳救助に資するRP標識の設置に伴い、地域固有の団体と管轄の消防機関が連携を図る取り組みは、九州の山岳救助又は山岳地域における安全対策の視点から見れば数少ない試みであると同時に、熊本県内では唯一の取り組みであると言える。
  そして、当該山域へのRP標識設置の反響は、登山者自身のホームページ等で度々紹介されており、実際、山中での設置活動中に出会った複数の登山者から感謝の言葉を掛けられ、関心の高さが伺われる。
  しかし、「五家荘の山には、レスキューポイントがあるから安心」と本活動の目的を間違って解釈し、軽いケガで安易に救助を要請する登山者が出でくることも否定できない。
  山岳事故の特徴は、「無理な登山」又は「無知な登山」など、登山者自身が山を軽視したことが原因で発生している場合が多いことから、登山者自身の姿勢やモラル・マナーの向上は、事故防止の基本であり、本活動が事故発生後の速やかな人命救助活動にとどまらず、事故防止を啓発する予防対策のひとつとして、登山者各位に波及・浸透することを期待するものである。
最後に、本活動を契機に、今後は山域が隣接する他の消防機関との山岳事故における対応策の強化を図ることが重要な課題と考える。

 9 その他 
 この五家荘の山におけるレスキューポイント標識の設置活動は、熊本県内の山岳地域を管轄する消防本部としては、「泉・五家荘登山道整備プロジェクト」と連携を図った八代広域消防本部が先駆けであり、本年2月に開催された【熊本県消防長会】で当消防本部が情報を提供し、各消防本部の消防長から賞賛されました。
そして、その席上で、阿蘇広域消防本部も直ちにレスキューポイントの設置に取り組まれる意向を示されたとのことです。
これからも、このような人命救助を第一とした意義ある建設的な活動が広く、大きく波及してゆくことを、消防人として切に願っています。

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